ただの愚痴です。
子どもを自然の中で遊ばせることについて僕は大賛成です。特に釣りについては、釣った魚を食べるという行為を通じ、命の尊さや食べ物のありがたさなどを学ぶ非常に良い教材になると思っています。
しかし、釣りというアクティビティがいくら素晴らしくても、親がこれだとちょっとなぁ…という出来事が最近ありました。将来自分がそうならないように…という思いも込めて、メモがわりに置いておきます。
「なぜフグは殺してもいいの?」に答えられない父親
僕は、フグが釣れたらリリースします。世の中には、釣り上げたフグを「邪魔だ」という理由だけで防波堤に捨て、そのまま死なせる釣り人が一定数いるようですが…
この行為自体を僕は軽蔑しているのですが、さらにそれを自分の子どもの前で…教育をどう考えている家庭なのか、甚だ疑問に感じることがありました。
僕の隣で親子連れが釣りをしています。休日のほのぼのとした光景です。なかなか釣果に恵まれていなかったようですが、父親がなんとか豆アジを釣り上げたようです。
豆アジは元気がよく、バケツに放してもすぐに飛び出してしまうようです。父親は慌てた様子で「あぁ、死んじゃう、死んじゃう」とアジをバケツに戻していました。
すると、子どもが「どうしてアジは助けるのに、フグは殺してもいいの?」と…
父親は無言でした。
その問いに答えられる理由があるのであればまだマシだったように思います。しかし、子どもに答えられないということは、父親自身が後ろめたい気持ちでフグを殺めていたということになるでしょう。
命の大切さを学ぶべき場で、邪魔な生き物を殺す親の姿を見て、あの子がどのように育つのやら…他人の子どもながら心配になりました。
豆アジ1匹だけキープしてどうすんだ、というところも気になりましたが、些細なことです。
「ママー、お腹すいたから帰りたいよー」を無視する母親
なかなか釣果が伸びずに、日も暮れてしまいました。昼間はまだ夏の暑さが残っているとはいえ、徐々に寒くなってきます。パーカーを着ている僕ですら少し肌寒さを感じている中、その子どもは半袖です。
子どもはとうに釣りには飽きてしまっており、釣竿も持たずに釣り場を歩き回っています。
「ママー、お腹すいたから帰りたいよー」
の子どもの声に、黙々とルアーを投げ続ける母親。帰り支度を始めたのは、それから30分くらい経過してからでしょうか。
あ、ちなみに、この母親は、さっきのフグの父親の奥さんです。つまり、同一の家族です。父親があれなら、母親もこれ…子どもがかわいそうです…
少し前に父親が「マクドナルドかコンビニしか開いてないかなー」と言っているのを聞いて、悲しさが倍増しました。
釣りは教育的であるべき
「べき」論はあまり好きではないのですが…
親が何かをしている姿を子どもに見せる場合、それは教育的な姿であるべきだと思うんです。それも、反面教師的な教育ではなく、真っ当な教育として。
本来「命は大切にしなければならない」と教えるべき父親が子どもの前で平気で生き物を殺し、本来我が子のことを一番に考えてあげなければならない母親が子どもの声を無視して趣味に熱中…
まあ、よその家庭の教育方針でしょうから別にどうでもいいんですが、そういう教育を受けた結果変な方向に育ってしまった子どもが世の中に出てくるのは勘弁いただきたいものです。
ちょっと悲しくなったので、なんとなく記事にしてしまいました。
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